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白ペンギンが宣うた、白ペンギンHILOが日々つれづれに思ったことを宣うブログ

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平成元年で四半世紀前なのだけど

『ヤマト2199』のテクノロジー設定って、重力アンカーみたいな重力制御関連はワリと普通に実現してる感じだけど、一方で超空間転移技術(超光速航法)だけはまだ地球科学じゃ到達してないって扱いなのねぇ。ワープ技術だけオーバーテクノロジーってるワケか。いちおう通信技術だけでなら超光速は実現してるみたいだったけど。
 そーいや沖田艦長が持ってた多機能懐中時計、あれ見てやっとSFらしいガジェットが出たなぁと思ってこっそり感心した(笑) いままで機関マニュアルとかですら紙媒体だったりしてたからなー、ホントああいう現代じゃ有り得なそうな地味にハイテク使ってる小物なんかで全然イイんだよ、オレあーゆうの好き( ̄▽ ̄)

 すぴばるで書いたことなんだけど。土曜にいわゆる懐かしアニメ特集みたいな特番やってて、チラッと"ながら観"していてフイに思ったんだが、この手の往年アニメを取り上げる番組ってその年代範囲を言うと1970~80年代にほぼ限定されるよな、90年代作品が範囲に加わる事ってまず見ないよな、と。年月の隔たりで言うなら90年代だってもう20年前、「懐かしい」と語られるのには充分なはずの範囲のハズなんだけど、その手の番組で扱われるのホント目にしない。『エヴァンゲリオン』だってもう17~18年前ぐらいだっけ?、だけど「懐かしの」として取り上げられたりはまずされないよね、せいぜい「あの頃の名作」って感じで往年のモノという風ではまずない。音楽なんかだと90年代楽曲でもそういう範疇に入れられたりするし、ドラマとかだって例えば『101回目のプロポーズ』なんか充分入ってるじゃん?、でもアニメってなるとその範囲限定なんだよね。
 このへんなんでだろーかねぇと思ってアレコレ考えてみたんだけど・・・具体的な答えらしきモノは自分では出なかったデス(苦笑) せいぜい要因と思えるポイントが並んだ程度のもんで。んで仕方ないからとりあえずソレを文字に起こしてみようかと。ほら、書いてるウチに答えが明確化することとかあるし。

番組の対象年齢が定まっているため
 最初に思いついたのがコレ。70~80年代のアニメ番組を「懐かしい」と思える年齢層ってなると40~50歳代くらいだろ、あの手の番組の想定視聴者がその年代のみで、30代以降は基本的にターゲットにしていないから90年代作がピックアップされないのではないかと。
 なんでその年代から始まってるのかも考えてみたんだが、たぶんその年代ってアニメーションという映像ジャンルが定着した時代だからなんじゃないかね。アニメ映画業界じゃトップと言えるだろうジブリの作品なんかも、80年代に入ってから有名な『風の谷のナウシカ』やら『天空の城ラピュタ』やらが公開されて、そこからアニメが一般化しだしたと思うからこの推測はソコソコ合ってると思う。

90年代アニメがビミョーだから
 次に思いついたうがった案がコレ(笑) ビミョーって何のことだか具体的に言うと、まーようするにアニメがいわゆる大きいお友達をターゲットにし出した頃だから、基本一般視聴者を対象に考えてるゴールデンタイムのテレビ番組としては扱いにくくなってきてるんじゃないかねぇ、みたいな。
 90年代ったってこの時代ホント"幅"が広くて、初頭だと『キテレツ大百科』とか『悪魔くん』みたいな、藤子不二雄先生や水木しげる先生や赤塚不二夫先生とかが原作の良くも悪くも「まんがアニメ」って具合の作品が並ぶんだけど。中期からは上記にある『エヴァ』や『機動戦艦ナデシコ』や『スレイヤーズ』といった、これまた良くも悪くも現代の流れに繋がっていくようなオタク色が濃くなってきたアニメの風になっていったような気がするんだよね。後期については言うに及ばず。時代を考慮すれば「懐かし」の範囲に充分入るけど、これら"濃い"作品を並べて扱うのはやりにくいんじゃないかなぁという想像である。

放送局の問題
 上記を考えてたときに並んで思いついた案。先日放送してたってその番組はテレビ朝日系の放送で、扱うアニメ作品も当時その局系で流してたモノが中心だったんだが(※ハウス名作劇場とかそのへん) 上項のように90年代の中頃に入ってくると、テレ朝系とかのアニメって本数減ってきて"メイン"がテレビ東京系にシフトしていったように記憶してるんだよねぇ。懐かしアニメ特集とかって放送局関係無く取り上げてくれはするけど、でもやっぱり他局ネットだった作品だと権利問題が面倒なのか分からんが扱いの中心には入ってこないんだよな、どーしても。そのへんの問題から90年代作は出てこないんじゃなかろーか、と。この案はこれはコレで悪くないトコ突いてる気がするがどーか。

 ・・・・・・とりあえずこんなあたりだろーか。まだ別にひとつ「90年代対象だと平成生まれだから」ってのもあったんだけど、項目1を別視点にしただけだから省いた。ひとまずこれら考えのいずれか、あるいは複合的な要因でもって「懐かしアニメが80年代までに限られる」の理由があるように思うが。う~ん、長々文字に直して書き連ねてみたけどやっぱり具体的回答にはならんなぁ。どっかにこう、クリティカルな答えが転がってる気がするんだけど。
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昔の人は大したモンだ

なんかもう集中力というかそもそもの意欲が全然湧かなくて、日中で2時間しか作業しませんでしたよアッハッハー?!(泣笑) ・・・いや、もう、見切り発車で始めるのは毎度のことだが今回のこのスタートはちょっと酷いレベルの気がする、アタマがまったく執筆モードに入ってくれない・・・・・・(悩) ホント、コンスタントにショートストーリーとか書き上げちゃう人ってエライわ、どういう風にしたらああいったモチベーションを維持できるんだろう?
 てか、基本的な問題として自分自身が別に書くこと好きなワケじゃないってのが致命的なんだよなぁ・・・ 普通は書くのが好きでお話作るんだから、ねぇ。まぁともかく今夜フロ入ってからと、あとは平日に少しずつでもいいから週末までに始めを片付けよう。そーしないとマジで盆休みに道内アチコチ走り回れやしねえゾ( ̄_ ̄;)

 放送内容は。来週の分なんだが、『奇跡の地球物語』でベニバナから取れる紅色の成分は花全体の1%でしかないと言っていて、先人の努力になんとまぁ感心するというか。例えばまだ砂糖がなかった時代に日本では甘蔓の汁を煮詰めて甘味を作っていたそうで、ソレについては甘いものを欲するという基本的な食の欲求から来るモノだからワリと納得しやすいんだが。でもベニバナの例って染料を得るだけ、それはソレで芸術面の欲求だというのは分かってるけど、だとしてもたった1%の色素材のためにそうまで労力を注ぎ込める・注いできたというのが正直理解を越えてくる。
 そもそも昔の人のそういう多種多様な知識ってどこから生じてどうやって進歩したのか、結果だけ見てる現代人からしたらまったく分からんってこと多いよなー。コンニャクイモだとかも、灰汁と一緒に煮込んで毒成分を追い出してやることで最終的にコンニャクという食品になるワケだが、どうしてそこまでしてコンニャクイモを食材として扱うように考えたのかって、ぶっちゃけナゾすぎるし。そんなムリしなくても他に食べるものは見つかっただろうにねぇ、そりゃ栽培しやすいとか保存しやすいとかのメリットもあるからこそ見出された食材であるのは分かるけど。
 とまぁ、そういった人類史のミステリーの一部を現代科学で解明して教えてくれるから、『地球物語』みたいなサイエンス番組って面白いし好きなんだけど。進んだ科学は新たな未来を斬り開くと同時に、記録にもない過去をも明らかにする。そういう風にとらえるとやっぱり科学ってロマンそのものだよねー(笑)

前の3話載せも大概だったが

そろそろ今期の新アニメ感想書く頃合いだろーか。イヤまだ観てない新番ひとつあるんだケド(微汗) にしても前期で4作終わって、今夏は少し減るかなと思ってたらどーもまた継続視聴が4本ほどになりそうな目論見である、数減らないと色々手詰まりになってくるんだがどーにかならんのかオレ・・・( ̄_ ̄;)

 仕事帰りに店寄ったんだけど、なぜかマガジンとか置いてなかった。まぁジャンプ読み遅れるよりダメージ(?)は低く済むけど・・・ そーいや少し前にリークで知ってたけど、今号の発表で『フェアリーテイル』のアニメ再スタートが報じられたみたいね。時期的にはやっぱり再放送版を1年やってそれからだろーか、そのくらい合間取らないとどのみち原作ストックが不足してまたすぐレギュラー放送終わりみたいになっちゃうだろーからなぁ。つーかそのへんの杞憂を2号連続3話掲載とかってデタラメ手段によりあるイミで"なんとか"してる作者の真島さんはマジでバケモノだと思う。そもそも先週号なんて本誌表紙絵+3話全部にもカラー扉絵だったからなぁ、週刊連載の仕事量じゃねえだろアレ・・・ 雑誌末の告知ページで「真島ヒロにしかできない!」ってキャッチ入ってたけど、この掲載ボリュームはマジメにあの人しか実行不可能だろーなぁ、他の作家で同じこと可能な人って思い当たらんワ(笑)

創作キャラも"いきもの"だしな

終了アニメ番組はひと通り片付いたけど、逆に新番アニメについては一切手を付けられてないっていうね。「片手落ち」ってまさにこの事だよね(遠い目) まぁそーゆう自虐はいいんだけど、更なる問題が終了番組の数と新規のとが数えてみたら同じだったことだな。意図的に録画から外したモノもあった上でコレってどーなんだろ、ホント"見切り"付けられるのがあったらアッサリ決めないとマジで色々追い付かなくなるぞ・・・

 とある個人WEBマンガサイトの日記で。「キャラ立てのために初期設定で口癖を考えたんだけど、話の中で動かしているうちにだんだんそのフレーズがキャラに合わなくなってきて、定着する口癖っていうのを意図して作るのは難しいね」みたいな事を書いており、目を通しててナルホドなーみたいに思った次第で。
 創作で登場人物の"キャラ"を明確にするために口癖を設定するのって、実際よくある手法だしそのフレーズがハマれば劇中で立たせるのが手軽になるしで、なにがしか考えたくなったりするものだけど。でも上記サイト管理人さんのように、そのキャラを動かしたり他キャラと絡ませたりしていくうちにその人物像が少しずつ初期イメージから変わってきて、話を始める前に考えておいたアレコレがそぐわなくなってくるっていう、ソレもまたありがちな問題。なんだろ、マンガ等のキャラって作者が全てを管理して動向も決めているようでいて、実際のトコロではその作品の中で"生きて"いるために話の中で色々と影響を受けるようになって、気が付けば作者当人が意図しない方向にキャラが変化していくという。創作とかしたこと無い人にはきっとピンと来ないだろうと思うが、いちどでも手がけたことがある、もっと言えばシリーズものに手を出したことのある人なら大体の方が首肯するんじゃなかろーか(笑)

 いちおう私もその手の創作ごとには細々と足先ちょこっと付けてたりしてるけど、振り返ってみると、口癖持ちのキャラって意外と少なくもないけど同時に意図して事前にそういうのを設定してやったキャラって皆無に近いなぁと思い至ったり。ウンそーだな、自分の場合だと劇中の掛け合いとかでフッと出てきたセリフ・言葉遣いの中から、「あ、コレって・・・?」みたくあとになって気付いたようなフレーズを口癖として改めて決めてしまうという、後付け的なキャラ立てが主・・・っていうかソレしかしねえわ(笑)
 私はホント、キャラを作るのはおろかお話を組み立てるのすらも書きながら決めていくというような、ある種創作とかやっちゃいけないタイプの人間であり、事前決め打ちで全部アイディア用意してからやろうと思ってもなかなか出来ないんだよねー。キャラの性格とかにしても、まぁたぶんある程度はあらかじめアタマの中で考えてあるから最低限動き出してくれるんだろうけど、でも実際の筆先(?)の上ではロクに決めてないまま行き当たりばったり的にしゃべらせたりしていって、ページ数重なってきたところで明確な部分が見えるようになってから「ナルホドこいつはこーゆう人なのか」と遅まきに自ら気付くというような。
 そんなテキトーなやり方だから、ハナシ1本作り上げるにしてもいったん全部書き上げたあとで前半に戻って色々矛盾してたり齟齬があったりする箇所を修正してソレでやっと本当に出来上がるという、ぶっちゃけ完成度の低いモノ作りしかできなかったりするワケで。以前余所のサイト掲示板でこの手の議論はやったけど、ホント自分の手法が他の人と全っ然違っていたのが、どんだけオレは異端なんだと遠くを見つめたくなったもんだった(笑)
 そんな後付け・後決めメインの制作手法なので、口癖持ちとかも劇途中で"発見"した言葉を場合によっては前のページに戻ってセリフに入れ直したりしながらキャラ固めしたりってのが多いのだが。でも件のWEBコミサイト管理人さんも、そういう「劇中で出てきたワードの方がキャラとの相性は良い」と言ってたりするし、この点については私のやり方もさほど間違ってはいないのかなぁと思ってみたり。実査にそうやって決めた口癖って、セリフの端々に入れていきやすかったりするんだよねー。書き手側からしても、自然に湧いてきたからこそ違和感が出ないってことなんだろーか?

 でもキャラ作り・物語作りが上手い人なら、事前に決めた事柄で作劇進めていっても破綻とか起こさず問題なくお話を進めていけるんだろーなぁ。そうした"能"の無い身からすると、そうやってできる人ってのは偉いなぁと勝手に思ってしまう。アレだな、いわゆるひとつの無い物ねだりなのかも分からんナ。

今日はダラダラ複数雑記

昨日からどうも、暑くはないけど湿度が高くて仕事にしてもやりにくい日が続いた。まぁ今日なんかは分かりやすく雨降ったけど。んでその雨が、帰り道で信号待ちにザッと降ったかと思えば少し車進んだらいつの間にかやんで、ワイパー止めてみたらまた降りだしたとか局地的な降雨の連続だったのがヘンに面白かった(笑)

 そろそろ夏の新番アニメが始まろうってぇのに、録画で片付いてないタイトルが地味に積み重なるとゆーダメピンチ。イヤまぁ誰に約束してるでも催促されてるでもない事だから気にしなけりゃソレで済むんだが。明日明後日は仕事休みだから、その間にひとつずつ消化しておきたいとこである。しかしなんだ、最終回を控えているというこの期に及んでまるっきり観る意欲の湧かない作品が1本あるってのが我ながら大問題だな( ̄_ ̄;)

 近所のラーメン屋が、知らん間に先月いっぱいで閉店してしまっていてガックリ。飛び抜けたような部分は無かったかもしれんけど、飽きの来ない安定した味でちょくちょく足を運んでいた店なだけにフツーにショックである(哀) 夕飯時にそのことを話題に挙げたら、どうやら店のご主人さんがしばらく前から体調不良だったらしく、閉店の原因もソコにあるんじゃないかとの結論が。まぁそーだよなぁ、客足が鈍いような風にはまったく見えなかったから経営不振からの閉店ではないと思ってはいたけど、にしても健康問題だったか・・・ なんにしても閉めてしまったのは残念ながら仕方無し、名前も知らないご主人さんでしたが今後はどうぞゆっくりご自愛ください(低頭)

 それこそSFC時代からずっと、『ドラゴンクエスト』と『ファイナルファンタジー』だけは逃さずプレイし続けてきたという人間が私の姉なのだが(※『FF11』は全盛時にPCで、『14』も初期だけなら参加していたほどの猛者(←猛者?)、フイに思い出して『PC版DQ10』の事を教えてみたら「もう追いかけるの大変だからやらない」とのつれない返事。まぁ私としても別にプレイしてほしいとは正直まったく思っていなかったんだが、にしても興味があるそぶりすら示さなかったのは意外だった。あの様子だと次世代ハードの『FF15』とかほぼ確実に買わないだろーなぁ、なんだろコレもひとつの"歳"ってモンなんかねー。