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白ペンギンが宣うた、白ペンギンHILOが日々つれづれに思ったことを宣うブログ

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『2』が8ヶ月で作られたのも同様だと思ってる

ここ数週ずっと土曜が雨続きで、今日やっと晴れ日だったのでようやく札幌行けた。いえ別にアッチまで行かないと片付かない用事(買い物)とかでもなかったですけどネ。とりあえずテキトーに散財してきて、駅前ではビアガーデン的なの店開いてたので暑さに引き起こされた誘惑に勝てずひっかけて帰ってきた(笑) ええ、ひとり呑みでしたがなにか? やっぱり北海道じゃビールはサッポロクラシック1択だわー。

 『ドラゴンクエスト1』ってスゲーよな、とは言うけれど。ことある毎に述べてるとーり私は懐古主義否定派なトコがあるので、まぁ『ドラクエ1』自体がエポックメイキング的にも良作だったこと自体は賛同もするが、それで同時に「いまのゲームは容量ばっかり無駄遣いしてダメダメだ」と語り出すのは全っ然間違ってると思うばかりであり。サンプル画像よりもデータ容量的に小さいというのも、スゴいというか面白くは感じるけど、そういった観点にしても当時と現代とじゃファイルサイズに対する価値観や扱い方が別モノ過ぎるからなぁ。
 よく言われる・・・ってほどでもないか、ともあれFC時代ぐらいのゲームは弁当箱に例えられたものでして。つまり限られたROM容量=弁当容器にいかにして各種データ=ご飯やおかずを選んで詰め込むかが求められていて、そうした制限の多さが日本人の職人器質的なスタイルと合致していたから色んな秀作・名作ゲームが生まれたというハナシ。有名所で『スーパーマリオ』なんかでも、背景にある地面の草と空の雲とが実は色替えしただけの同じ画像データで、そういう工夫で容量節約してたらしいネ。んで、似た目線で言うと現代のゲームはバイキングとかビュッフェみたいなモノではないかと。つまり1つのゲーム=お店の中に色んなゲーム要素=料理が並んでいて、プレイヤー=お客さんはそのたくさん用意された中から好きなようにチョイスして楽しむ、そのために制作サイドも人員や開発期間を多く取ってたっぷり作り込む、みたいな。加えて言えば、いわゆる大作として扱われるリッチなゲームなんかは、高級店のフルコースメニューみたいなモノ、ひと皿ごとそれぞれに食材から選りすぐってリッチな味を楽しませるような感じかなぁ。
 まー言いたいのは、弁当にもバイキングにもフルコースにも、どれも良いとこ・悪いとこがあって1面的な部分だけ取り上げて弁当のが上でいまの料理ダメだと言いだすのは視野が狭いだけじゃんってコト。確かに弁当のシンプルイズベストな具合に対してバイキングやフルコースばっかりじゃ食べるのも大変に感じるの分かるけど、そのへんについて現在なりの弁当にあたるモノとしてコンパクトなDLゲームなんかが相当してるのかな。そもそもが、80~90年代のFC現役時代だからこそ『ドラクエ1』ぐらいのゲームが"あり"だったのであって、この2010年代半ばにまるきり同じようなゲームを5000~6000円で売り出そうとしたって(※最重要ポイント)誰ひとり買わないよねー( ̄▽ ̄) もっともココまで問題点を拡げようとするのも論点がズレだしてくる感があるので考えものではあるが、そういう時代の移り変わりによる価値観の違いもいくらかは踏まえてくれないと困るだろ、などと懐古主義否定派としては思ってしまう部分。「昔の方がよかった」じゃなくて「昔は昔でよかった」、じゃないのかねーってな。


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