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白ペンギンが宣うた、白ペンギンHILOが日々つれづれに思ったことを宣うブログ

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『鋼の錬金術師』もやるんだっけか

日中どんだけ気温高めでも夕方過ぎると空気に冷たさを多少感じるようになるもんで、まだこのへん6月前だなって感じ。まぁ今日の場合は雲が無かったから、単に放射冷却のせいなんですが。雲がフタになって日中熱された空気が留まるから熱帯夜が生まれる、という大気循環の仕組みは言葉で聞けば理屈なんだけど、よく考えるとスケールのデカいハナシだよねー。

 『ジョジョの奇妙な冒険・第3部』が実写映画化するそうで、ネット界隈ではまぁさっそく非難囂々っていう( ̄▽ ̄;) ウンまぁ「ヤメロ」という声が上がりまくるのは分からんでもない、特に3部なんてスタンドが登場するから超能力バトルというかファンタジー的な描写が多いし、そのへんで原作マンガのイメージがアレしちゃうことに不安視するのは半ば当然とも言えるし。
 でもなぁ、マンガ原作の実写映画化が何もかも駄作に陥るかというと決してそんなことはないし、発表されただけでアタマから否定に走るのはどーなんかなぁと思う自分もいるワケで。近年の作品だと『るろうに剣心』なんかは、アレも言ってみれば超人バトルの原作マンガだったけど、映画自体は殺陣描写が見事なニュージェネレーション的時代劇としてすごく面白かったし。
 つまるトコロ、原作マンガ自体が現実寄りな内容であればソコまで言われないけど、ファンタジー要素が含まれるとソコでギャップを埋められなくなるからNOを突きつけることになる、というワリと当たり前な問題があるんだよねぇ。あとは漫画キャラを現実の俳優でどこまで再現できるのか、いかにもマンガ的であればあるほどソコも溝が深まるだけというあたりか。『逆転裁判』の映画なんかはナルホドくんとか髪型そのまんまメイク仕立てて演じてたけど、アレは正直チカラワザみたいなモンだったしなー。何にでも適応できる手段とは言えないし。
 個人的な嗜好・思考としてアタマから駄目だ有りえんと否定に入られるのはどーかと思ってしまう面があるので、なんとなくひとつ言いたくなった次第。映画スタッフには頑張って、いまネットで溢れかえっている否定コメントを静めるような作品を作ってもらいたいけど・・・う~んやっぱソレは至難ではあるのだろうなぁ(苦笑)

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タカがプラモと侮れん

ローソンの。端末でドラクエミュージアムの前売りチケット買っておこうと思ったら、先日公開されたのは単なるチケットの発売日だけで実売受付はまだ先のハナシだったことを十数分端末と格闘してようやく気付いた今日この頃。通常の前売りはおろか先行販売のプレミアチケット(?)すらまだだったとは・・・ てゆーかローソンのあの端末ってなんか使いづらくねえ?、検索とかも妙にやりにくいし。あと別で、『スピーシーズドメイン4巻』の紙書籍買っとこうとしたら新刊コーナーに全然置いておらず探すのに苦労したり。売っていなかったワケではないからまだマシだったが・・・あんまし入荷されてないのはファンとして寂しい限りである、すげぇ面白いマンガなのだが・・・・・・

 最近のガンプラすげぇ。まぁガンプラというか関連商品の人物モデルプラモ、フィギュアともちょっと違うらしい商品に使われている技術みたいだけど・・・この色分け再現が、塗装やシール加工でなくプラパーツの色を組み合わせたモノで構成されているというのは軽く目を疑う。通常のガンプラ、ロボットのプラモではないのが少しもったいないというか残念にも思うが、イヤしかしコレはちょいと実物でいっかい見てみたいな。ホントよくこういう技術を開発して実用化まで持ってこれるもんだ、ようはハンドメイドの手塗り加工じゃ追い付かない大量生産化を目指した結果出てきた技術ってことなんだろうけど、にしたって大したもんだね。
 そもそもが、自分が小~中学時分と比べていまのガンプラはホントによくできてるものなぁ。普通のスタンダードモデルですら関節の自由度がすげぇ高いからポーズいっくらでも付けられるし、SD系統でさえボールジョイント&手首も稼働有りというのが基本になってるし。手首が回るってだけで武器の持たせ方に"表情"が付けられるから、飾る際に色々遊びが込められて面白くなるんだよね、でもいまのプラモってソレよりも一歩上を行く構造してるものなぁ。
 オモチャに限らず、自動車にしろカメラにしろ、なんでも日常の製品って日進月歩を果たしてるよなー。やっぱ世の中すげぇ。未来すげぇ。

似たヤツでモスキート音てのもあったよね

昨日帰宅直後にお見舞いしてくれやがった(←まだ少しイラついてるらしい)父親のiPhone復旧で思ったこと。PCブラウザ上からの遠隔操作で当該端末を初期化して、コレまたクラウド上のバックアップデータから中身を復旧とゆー手段で元に戻せたんだが、つまるトコロ本体が無かったとしても作業は実行できたということに色々ナルホドと感心したり。コレってようするにスマホをどっか見覚え無い場所で落として無くしててもIDなどさえ抑えてあればどこからでも端末を"殺せる"、クレジットカードを無くしたらカード会社に言って利用停止させるみたく遠隔でスマホを使えなくできるシステムなのね。そーだよなぁ、オレはスマホ持ってないからイマイチ分かってないけど、でもいまのスマホって単純に個人情報(※アドレスの個人名やTEL番など)がわんさか入ってるだけじゃなく、Suicaやおサイフケータイの機能あったら場合によってはクレカとも直結しかねないワケだし、誰かに拾われて悪用されたらホントにおっかないことになるもんね。クラウドにバックアップを置いて出し入れするのがiPhone以外のアンドロイド端末とかにもあるかは知らんが、まぁ遠隔停止ぐらいはどれでも備えてはいるんだろーて。いわゆるセーフティシステムだが、なんとも便利な仕組みであること。さすがは実質手の平パソコン、スマホって便利なもんだねぇ(←これだけ感心してもまだ持つ気にならない男)

 もしかしたらリンク先ちょっと動作が重たくなるかもなのでとりあえず忠告。あなたの視覚年齢はいかほどか? ちなみに私のリザルトは34歳でした、実年齢よりチョイ低めというか実質イコールな結果だったとさ。まぁそれは置いといて、肉体年齢によって身体能力が変わる、筋力や柔軟性といった運動機能に限らず視覚・聴覚などの言ってみればセンサ系も変容・劣化が起こる、というのは当たり前に分かっているようでいてワリと盲点なんじゃないかと思ってみたり。
 この視覚テストでは年齢によって色感覚が変わりうるということを示してるワケだけど、なんとなくそうなんだろうと感じてはいても、特に最後(最初?)のカプセル錠剤の色、アレが人によってはピンクや青っぽく見えるというのはこうやって提示されないと実感持ちようがないんじゃなかろーか。人間ふたりが同じ景色を眺めてもそれぞれ見てるモノは違う・・・とゆーのは単純に景色中の雲のカタチだったり丘の上に立ってる木を見てたりといった意識が寄っている箇所の違いのハナシなんだけど、仮に本当に同じモノを目にしてもアタマの中で捉えている色彩さえも同一かの保証は無いんだよね。ソレを確かめようとしても、目(網膜)というセンサで捉えて・脳ミソという画像処理プロセッサでそれぞれはじき出した結果は、どうしたって個々人の意識内でしか作用しないから客観的に判別なんてできようもない。
 とゆーか、この視覚テストやって改めて思ったけど、私が前々から考えている「幽霊が見えると言っている人は本当に"何か"が見えているのだろう」って自論はやっぱり有りなんじゃないかね。や、幽霊やら妖怪やらが実在するかどうかってハナシじゃなく、人に見えない何かを見える・見られるというのは、個々人のセンサ能力の違いから生じる一種の捉え幅の違いでしかなくて、超能力的なこととかとも違って"何か"を認識できる・できている視覚や聴覚の性能差があるだけのことなんじゃねえのっていう。その中にはソレこそ人間の能力を逸脱したような電磁波を目で見て捉えられる的な超能力じみた視覚力を持つ人もいるのかも分からんし、妖怪的な存在も本当はいたりするのかもしらんが、でも単純なハナシとしてはそーゆう基礎的な機能の違いから生まれた認識・感覚のズレみたいなもんでしかないんじゃないかねー。
 「ワタシとアナタは違う"人"」、というのは哲学的なこととは別に物理的・機能的な意味合いで言うならたぶんそーゆうことじゃないかなぁ、っていうおハナシ。ワリといいとこ突いてる人間観だと思うんだけどどーでしょ。

もう、スゲェとしか言いようが無い

くそぅ、ネット界隈の感想をちら見してる様子じゃ今週のジャンプはどの連載も面白そうじゃねえか(笑) 明日コンビニで置いてるかなぁ・・・

 今日は軽く『マリオメーカー』のことでも書こうかと思ってたけど、路線変更してすぴばるで挙げただけじゃもったいない(?)のでブログ記事にも取り上げてこの見事な爆笑を保存しておこうかと。スポンサー降板に慌てて路線変更を計るニュース番組。イヤこれはスゴい、凄まじいと言ってもいいナ、普段から情報源がテレビオンリーで民放報道を鵜呑みにしがちな人達すべてに教えてさしあげたいイキオイ。世間よ見たまえコレが報道の真実だ、まったくもって日本の自称マスメディアってのは大したモンだゼ!





 イヤもういっこも笑えないんですけどね(真顔)


『2』が8ヶ月で作られたのも同様だと思ってる

ここ数週ずっと土曜が雨続きで、今日やっと晴れ日だったのでようやく札幌行けた。いえ別にアッチまで行かないと片付かない用事(買い物)とかでもなかったですけどネ。とりあえずテキトーに散財してきて、駅前ではビアガーデン的なの店開いてたので暑さに引き起こされた誘惑に勝てずひっかけて帰ってきた(笑) ええ、ひとり呑みでしたがなにか? やっぱり北海道じゃビールはサッポロクラシック1択だわー。

 『ドラゴンクエスト1』ってスゲーよな、とは言うけれど。ことある毎に述べてるとーり私は懐古主義否定派なトコがあるので、まぁ『ドラクエ1』自体がエポックメイキング的にも良作だったこと自体は賛同もするが、それで同時に「いまのゲームは容量ばっかり無駄遣いしてダメダメだ」と語り出すのは全っ然間違ってると思うばかりであり。サンプル画像よりもデータ容量的に小さいというのも、スゴいというか面白くは感じるけど、そういった観点にしても当時と現代とじゃファイルサイズに対する価値観や扱い方が別モノ過ぎるからなぁ。
 よく言われる・・・ってほどでもないか、ともあれFC時代ぐらいのゲームは弁当箱に例えられたものでして。つまり限られたROM容量=弁当容器にいかにして各種データ=ご飯やおかずを選んで詰め込むかが求められていて、そうした制限の多さが日本人の職人器質的なスタイルと合致していたから色んな秀作・名作ゲームが生まれたというハナシ。有名所で『スーパーマリオ』なんかでも、背景にある地面の草と空の雲とが実は色替えしただけの同じ画像データで、そういう工夫で容量節約してたらしいネ。んで、似た目線で言うと現代のゲームはバイキングとかビュッフェみたいなモノではないかと。つまり1つのゲーム=お店の中に色んなゲーム要素=料理が並んでいて、プレイヤー=お客さんはそのたくさん用意された中から好きなようにチョイスして楽しむ、そのために制作サイドも人員や開発期間を多く取ってたっぷり作り込む、みたいな。加えて言えば、いわゆる大作として扱われるリッチなゲームなんかは、高級店のフルコースメニューみたいなモノ、ひと皿ごとそれぞれに食材から選りすぐってリッチな味を楽しませるような感じかなぁ。
 まー言いたいのは、弁当にもバイキングにもフルコースにも、どれも良いとこ・悪いとこがあって1面的な部分だけ取り上げて弁当のが上でいまの料理ダメだと言いだすのは視野が狭いだけじゃんってコト。確かに弁当のシンプルイズベストな具合に対してバイキングやフルコースばっかりじゃ食べるのも大変に感じるの分かるけど、そのへんについて現在なりの弁当にあたるモノとしてコンパクトなDLゲームなんかが相当してるのかな。そもそもが、80~90年代のFC現役時代だからこそ『ドラクエ1』ぐらいのゲームが"あり"だったのであって、この2010年代半ばにまるきり同じようなゲームを5000~6000円で売り出そうとしたって(※最重要ポイント)誰ひとり買わないよねー( ̄▽ ̄) もっともココまで問題点を拡げようとするのも論点がズレだしてくる感があるので考えものではあるが、そういう時代の移り変わりによる価値観の違いもいくらかは踏まえてくれないと困るだろ、などと懐古主義否定派としては思ってしまう部分。「昔の方がよかった」じゃなくて「昔は昔でよかった」、じゃないのかねーってな。