近ごろびみょーに腸の活動がくだり気味(←迂遠な表現) まぁウチの他の人らみたく便秘気味なのよりはマシかも分からんが。思い返すと缶コーヒー飲んでるとトイレ行きたくなりがちなんだよな、コーヒーでそういう風になるのどっかで聞いた事あるけど私もそういう体質に変化してしまったんだろうか。コーヒー好き的にソレは困る・・・
本日の。夕食がもらい物の生蕎麦で、両親の友達(?)の方が打ったモノらしく素人仕事にしては充分なくらい美味しい蕎麦で私も満足、まぁあえて難点を言うなら打った麺が短くて食いにくいってくらいモノだったワケだが。その食卓の場で
「向こうさんに美味しかったよって感想言ったら気ぃよくしてまた蕎麦くれるから」みたいなことを父が言っていて、
イヤまぁそれ当然だよね、と。誰だって自分が作ったモノほめられたらそりゃ気ぃよくするがな。
よくそこいらで、特にネット界隈じゃ目に付きやすいこともあってよく見かける言い分として、「相手のことを思ったら辛辣な意見であっても正直に言うべき」みたいなヤツあるけど、アレって自分は100%は賛同できないんだよね。上記のような手作りの食べ物でも、ネットだとイラストやらWEBコミックやら小説やらといった個人創作とかか、辛辣で手厳しいご意見をたまわるよりも適度におだてて上手くのせてほめてくれるようなコメントをもらう方がよっぽど、
精神健康的には有効。あたりまえのハナシとして。これまたよく「うかつにほめず逆にキツイことを言ってあげた方が、なにクソという反骨精神を刺激するから有効」とか、まぁありがちな意見だけど、ソレってそういう「けなされた! けど次こそほめられるようにやり返す!」っていうリベンジ意欲が強い人間に
だけ有効に働く手法でしかなくて。普通の人、というか大多数の人間は「これじゃ駄目だ」って言われたら「あっ、そうすか・・・」ってなって萎えて終わりになるのがある種当然ってなもの。商業でやってること、食べる人・見る人・読む人にお金払わせて提供する物事であるならその限りではなかろうが、単純な厚意や無償の個人活動としてやってることなのだったら、
たとえ辛辣でも正直な意見ってのは親切でもなんでもない・相手のためになるなんて事は99%ありえない。仮に言う側の人間が本気で親切心からそうコメントしているのだとしたら、ソイツは間違いなく
ドSだろーて(断言)
ネット界隈で「あの人の書くショートストーリー好きだったのになぁ、もう書かないのかな」などと嘆いている人、去ったことを残念に思うのは構わないけど、そう思う前に
まず相手のことをほめたことありましたか? 好きだと思ったらまず目に見えるカタチで(←重要)きちんと評価してあげること、そういうのが相手方の新たなヤル気になるもんだ。私個人の実体験からもけっこうマジメにそー思う。
PR