今週のジャンプ、『ワールドトリガー』が遊真の過去編で
面白さが1段上がった感じになったの私以外にいるかねぇ。いや、てゆーか面白くなったのは良いことなんだけど
ソレに到るまでの展開が遅いったらねえのが問題なワケでして本作( ̄_ ̄;) ひとまず今週を経て修と遊真が
本当の友達同士・仲間同士になるフラグが立ったけど・・・改めて、もう一人の主人公である修がどう事を収めるのかに注目か。なにせ相手がまぁ達観した性格のヤツだからなー、どんな言葉を届けれてやれば、救うまで行かなくとも助けることに繋がるのか。ハテサテ。
個人サイト・ブログをやめさせない手段。あー、これまさしくシンプルイズベストな回答だわ(笑)、いちブログ管理人であり元サイト運営者として心の底から同意する。つーか対人関係において基本中の基本である悪口を吐かないという"気遣い"、コレが匿名で顔の見えない(見せない)このネット空間上においていかにおざなりになってしまっているかを改めて思い知る記事でもあるなぁ。
まぁ私も個人サイト2本を経ていまのブログ運営に到っていて、トータルで言うとガチで10年以上こーゆーネット活動(?)を、
ロクに客も集まらない状況のままで(←重要点)続けている次第なんだけど。そんな客足の鈍いサイトなりブログなりであっても稀にながら訪問客からのコメントはいただけたりするワケで、その上でまたやはり、そうした投稿の中には明確にコチラへの
攻撃的意志をともなった発言も時折あったもんで。その点については運営歴だけなら長い管理人の心情・応対として正直なハナシ、素顔も見えないどっかの誰かからいまさら何いわれたところでどうってぇこたぁカケラも無いんだけど、これまたもうひとつ正直なトコとして悪口言われてひとっつもカチンと来ないかっていったらそんなワケも無いもんでして。
自分としては、
相互的完全無償である事を大前提とした上で「いち個人がちょろっと思ったことをこのネット上にたれ流してみてるだけ」なんだけど、まー"殴りかかって"くる相手からしたら何がそこまで腹に据えかねたかってイキオイで悪口を、キツイ場合だと私の人格全否定するレベルで言ってくるんだよなー。・・・や、ホント過去にそういうの数回はありましたよ?、マジで「お前死んだ方がいいよ」的な内容を言い回し変えた感じでコメントしてくるのとか(笑)
んでまぁ、そういうこと言われる(書かれる)たびに内心では「いやぁ、そんな悪し様に言われるくらいなら速攻辞めても構わんのだけどなぁ、元々そこまでサイト(ブログ)に執着無ぇし」と思いつつ、相手の思う通りになるのも
また気に食わないからチョットだけガマンして翌日も翌週も日替わりで何か記事を書き続ける、そういうスタンスをいまもこうして継続してる次第で。アレだな、自分自身のあまのじゃくな性格がよくも悪くもこうして長々続けさせている原動力のひとつになってるんだろーな。
でもホント、いち運営サイドの人間として思うが、相手の発言が間違いや勘違いをしているのならソレに対して指摘をするのは分かるんだけど、
どうしてそこに悪口雑言を重ねてくるんだろうなーとは思ったりしますよネ、ぶっちゃけ。自分のケースでは近来だと
傲慢とすら言われたモンだが。まぁそのとき問題になった記事については私の書き方も悪かった部分もあるので「言われちゃっても仕方ないわな」くらいには思ったけど、「そこまで否定されんのかいな(苦笑)」とも同時に感じたよなー。なんだろう、こういうのってコメントする側は
言う権利があると思ってきっと書いてくるんだろうけど、そういうケースの大概が逆に
言い返される責も負うことを忘れてるんだよねぇ、だからどっかでどちらかが引き下がらないと最悪炎上にまで到る。営利目的でやっている
のではない個人のネット活動なんて本来は世間話とレベル違わないのに、訪問側の一部の人間にはそうじゃない、公的発言みたいに受け止めちゃったりすることが少なくなく、そのために生じる認識違いからの不幸とか。アレやコレや。
んー、なんとなく言葉のまとまりがなくなってきたな( ̄フ ̄;) 改めてリンク先の記事に目を戻して、「むすび」と「おまけ」のくだりなんかはホント、
手短に本質的なトコロを突いてるなぁと読んで思った。なんてぇのか、悪口言われるのって色々と、創作とか記事執筆のためのエネルギーを手軽くガッツリ削り取られる事案なんだけど、殴りに来てる側はそういうの分かんないんだよなぁ、嗚呼不幸な連鎖だヤレヤレってなもんで。そういうプラスもマイナスも色んな意見・言葉があるから面白いと思ってるのも本心だけど、そうもポジティブオンリーかって言ったらソコは"ポーズ"もあるよモチロン、っていうね。世の中複雑よね。
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