コンビニのレジ横に置かれてるドリップコーヒーの美味さに気付きまして。言ってもまだソレほど複数のチェーンで試し飲みしてないんだけど、でもどっかで聞いた評判通り確かにあのコーヒーはいいわ、缶コーヒー以上は当然としてパック売りのドリップタイプよりも1段上の味が楽しめるのは間違いない。
んで、いまのトコ飲んでみた中でイチバンよかったのがセイコーマートのヤツなんだよなー。同じ名前の缶の従来製品はそんなでもない味なんだけど(その代わりちょっと安い)、店頭ドリップのはヤケに美味く感じた、単に自分の舌と合ってるってことかもしれんけど。あーゆうのがもっと手軽に買いに行けたらホントいいんだが、いかんせん生活圏からコンビニ自体が消えた現状ではな~・・・
いつも閲覧してるサイト日記及び掲示板で、「量子テレポート」なんてものについて賑わってたので
一方的に乗っかってみる(←えー。) 先方で述べてたことをかいつまむと、量子テレポートってのは「
α地点にいる
Aさんをいったん
消滅させた上で100億km離れた
β地点でほぼ同時なくらい一瞬の直後に
A’さんとして
意識も連続したまま物質
再生させる技術」であり、いわゆるテレポート=瞬間移動とは実はまるで違う、加えて技術上では分子レベルで同一なんだけどオリジナルがいちど消滅されてるからには完全無欠のイコール存在では本当は無い、というハナシ。んでそのへんを踏まえて、量子テレポートで再生された”自分"は果たして"本当に自分自身"と言えるのか、なにかの不具合が生じて同一性がどこか損なわれてしまったとしてもソレに気付くことはおよそ無い、それは"自分"が失われるというブキミで恐ろしいことなんじゃないのか、ってのがサイト管理人さんの大体の見解みたいらしく。
ソレ読んで自分の思ったことを書くんだけど、自覚すらできないことを気に止んでもどーにもならん、まさしく
是非も無えことじゃねーのかなぁと大ざっぱな感想を持ってみた次第で(微苦笑) 確かに量子テレポの方式だと"自分が自分じゃなくなる"ことが起こりうるのかも分からんけど、不具合で違いが生じてソレで何か致命的に困る状況が生まれるならまだしも、移動だけが成立(成功)して変化・変容には自覚一切無いんだとしたらソレ大した問題じゃない気がしてるのって私だけだろか。このへんは先方でも書いてるんだけど、人間タダ生きてるだけで昨日の自分とは違っているモノ、もっと言えば新陳代謝等の生理現象によって何十日も経てば細胞レベルでは全身ソックリ入れ替わってる(※いわゆる「私はひと月前に食べたもので出来ている」ってヤツ)のが実態なワケで、そういう緩やかな時間経過による変容については気にならないケド一瞬による発生に対してだと心配になるのは、
大ざっぱな性格の自分としては理解しにくいというかちょっと共感しにくかったり。だって、繰り返しになるけど
自覚はまったく生じないんだもの、違うこと・変わってしまうことに気付くならまだしも量子テレポの移動では自己意識が完全に連続するんだから構うこたないと思っちゃうんだよなー。
それにこのへんもちっと突き詰めちゃうと、哲学的というか腐れSFじみた考えになってくるが、いま現在生きて連続している時間線上すら世界のどこかで誰かが介入して『シュタインズゲート』の過去改変みたいなのを引き起こされてるかもしれないワケで、そのせいで
客観上では自分の生体や生環境が変貌していないとも言い切れない、けど
主観上だと気付きもしてないから何事もなく過ごしてる、そーゆうトンデモな"if"を気にするのと大差無いように思えちゃうのよねぇ。そこまで気にして普段生きてるかったらソレはせんでしょ、量子テレポで起きること・起きうることってそーゆうのと同じなように感じてしまうんだよなー。
――とまぁ、どんだけ先方やモチロン私もアレコレ考えて言葉並べてみたところで、
量子テレポート技術はまだ地球上に存在していないテクノロジーだってのが大前提なんすケドね。このさき開発され得るかもしれんけどいまは影もカタチも無い事柄なワケで、ソレに対して不安になったり問題無いと言い張るのもまた詮のないハナシでして。夏らしく締めてみるなら「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」って感じ?、いやコレだと全然違うか(笑)